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香川 風景

香川県基本情報


県章:カガワの頭文字「カ」をデザイン化したもの。
面積:1,876.52(km2)
人口:997,378(推計人口、2010年5月1日)
人口密度:532人/km2
県の花:オリーブ
県の木:オリーブ
県の鳥:ホトトギス
県の魚:ハマチ
県の獣:シカ
詳細

県名の由来


 香川県の県名は,県域のほぼ中央部に位置する高松市が所属していた香川郡の郡名に基づいています。また香川郡の地名は,香川郡の奥山にある樺河(かばがわ)という里に香り高い樺の古木があり,その香りが郡の中央を流れる川を通じて郡内に漂っていたことから郡名が香川郡,川の名前が香東(こうとう)川とされたといわれています。

日本で一番狭い県


 香川県の面積は 1,876.52km2であり,全国47都道府県中,最も狭い県です。しかし1988(昭和63)年10月1日までは,香川県は46位で最下位は大阪府でした。では、なぜ順位が逆転したのかといいますと、香川県の面積が減少した為です。面積が減少するとは非常に考えにくいことですが,次のような事情がありました。
  香川県には多くの瀬戸内海の島々がありますが,この中に井島という島があります。この島は南側の約3分の2が香川郡直島町(なおしまちょう)に属していますが,北側の約3分の1は岡山県玉野市に属しています。島内の陸地部分は尾根線によって県境が明確になっていますが,海岸部分は漁業権の問題などから,江戸時代より玉野側の主張と直島側の主張が対立し,現在でも境界不確定のままとなっていました。
 日本の国土面積や,都道府県や市町村の行政面積などは国土地理院が作成する地形図によって,計算されています。1988(昭和63)年10月1日までは国土地理院は5万分の1の地形図によって,計算していましたが,より精度を増すために,この日より規準となる地図を2万5千分の一の地形図に変えました。この結果,井島の香川県側と岡山県側の境界が不確定のままであることが判明し,香川県の行政面積からこの井島を含む香川郡直島町の面積14.2km2を削除(さくじょ)することとなったのです。
 このような事情から、香川県は大阪府に逆転され、日本で一番面積の狭い県になったのです。
 ただし、その後大阪府が関西国際空港などの埋立地を造ったために大阪府の面積は以前より増えており、直島町の面積14.2km2分が復帰したとしても香川県は最下位のままです。また、平野は県土のほぼ半分を占めており、その率は高いといった特徴があります。

日本の地中海


 香川の観光資源の一つに瀬戸の多島美があります。瀬戸内海を挟(はさ)んで岡山県と向かい合っていますが,その間に浮かぶ島々のほとんどが香川県に属しています。その中で最も大きな島が小豆島(しょうどしま)です。明治政府により香川,三重,鹿児島の三県に移植されたオリーブが,小豆島だけで成功しました。温暖で日照時間の長い気候の小豆島は,地図でみると地中海の南岸とほぼ同じ緯度に位置しています。

最も新しい県都


 江戸時代の讃岐国は、高松藩、丸亀藩、多度津藩の3藩と、江戸幕府の直轄地である天領、津山藩の飛地が分立していました。
 1871年8月29日の廃藩置県により、高松藩は高松県、丸亀藩は丸亀県、多度津藩と天領は倉敷県、津山藩の飛地はそのまま津山県となりました。
 その直後に、倉敷県の管轄地が丸亀県へと移され、同年に高松県と丸亀県が合併して香川県(1873年2月19日)が設置され、1872年に小豆島西部を編入して、現在の香川県(1888年12月3日)と同じ管轄範囲(行政区画は1888年12月に分割)となりました。
 しかし、1873年2月20日には名東県(現徳島県)に編入されるも、2年後の1875年9月5日に香川県(1875年9月5日-1876年8月20日)として再設置されたが、翌1876年8月21日には愛媛県に編入されました。編入の度に、地理的要因、異なる地域文化、住民意識の不一致などによって、香川県として単独の県の設置を望む声が高まり、12年後の1888年12月3日に香川県が復活したのです。
 このようにして香川県は、徳島県や愛媛県との間で独立と併合を繰り返した後、1888(明治21)年にようやく香川県として発足しました。高松藩の城下町であった高松が県都高松市として発足したのはさらに2年後の1890(明治23)年のことです。

雑煮にあん入りの餅


白味噌雑煮

高松近辺の家庭では,お正月の雑煮(ぞうに)は白味噌(みそ)仕立てであんこの入ったお餅を食べる風習があります。転居してきた人は一様に驚き,気持ち悪くて食べられないといいます。香川県は江戸時代より「讃岐三白(さぬきさんぱく)」(砂糖,塩,綿)の産地として栄えました。塩や綿は温暖で降水の少ない気候を背景としたもので,砂糖は温暖な気候と水はけのよい地質を利用したものです。特に砂糖は日本一の生産高を誇り,日清(にっしん)戦争後,台湾を日本の植民地とし,国産糖に比べて安価な台湾糖が日本に輸入されるようになるまで栄えていました。前述の慣習は,砂糖の大産地である香川の人々が,お正月のお餅に当時は高価で日常は食することのできない砂糖と小豆(あずき)で作ったあんこを入れ,これを雑煮に入れて新年を祝ったことに由来するものです。かつて糖業の町といわれた大川郡白鳥町(しろとりちょう)は,現在は日本一の手袋生産の町に変貌(へんぼう)しています。


日本で2番目に降水量が少ない都道府県


 香川県は岡山県に次いで日本で2番目に年間降水量の少ない県です。古来より雨量、河川の流水量ともに少なく、渇水に備えて、県内各地に16,000余のため池が造られ点在しています。なかでも、弘法大師空海が修築工事を指導したとされる満濃池は周囲約20km、貯水量1,540万tであり、全国一の規模を誇っています。

県民歌


昭和28年に一般公募し、昭和29年1月30日に制定されました。

歌詞

  1. 讃岐の峰の雲晴れて
    大瀬戸清くかもめ舞う
    絶景ここに織りなして
    あ、美しのわが郷土
    香川県民いざ誇れ
  2. 塩焼く浜に野に街に
    勤労の汗玉と照る
    天産ここに潤いて
    あ、幸に満つわが郷土
    香川県民いざ奮え
  3. 時代の息吹新しく
    文化の香りまた豊か
    老幼ここに相和して
    あ、築き行くわが郷土
    香川県民いざ進め

香川県HPで県民歌の視聴ができます。